大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

秋田家庭裁判所 昭和48年(家)140号 審判 1973年10月22日

一四〇号事件申立人二五三号事件相手方 山崎洋子(仮名)

一四〇号事件相手方二五三号事件申立人 山崎春雄(仮名)

事件本人 山崎静子(仮名) 昭四七・五・二三生

主文

1  昭和四八年(家)第一四〇号事件につき

相手方は申立人に対し

(一)  金八〇、〇〇〇円を直ちに、

(二)  昭和四八年一〇月から昭和六六年三月まで一ヶ月金一〇、〇〇〇円づつを毎月末日限り

それぞれ支払わなければならない。

2  昭和四八年(家)第二五三号事件につき

本件申立を却下する。

理由

第一昭和四八年(家)第二五三号事件の申立の趣旨とその実情

申立人山崎春雄は「事件本人の親権者を相手方(母)から申立人(父)に変更する」との審判を求め、その実情は

(1)  申立人と相手方とは、青木元一、金田某の仲介により結婚することになり、昭和四五年一〇月九日婚姻届をし、アパートを賃借の上同棲生活を営んでいたところ、相手方は妊娠したので、実家で出産すべく昭和四七年三月二九日秋田市の実家へ帰つた。

(2)  そして同年五月二三日事件本人静子を出産し、同年七月二三日申立人の許に戻つたが、相手方の了承を得たのでアパートを引き払い、申立人の両親と同居することになつた。

(3)  しかるに、相手方は事件本人を連れて同年九月五日秋田市の実家へ帰つてしまつた。そこで、申立人は直接迎えに行つたり、仲人の青木元一あるいは実父らを通じ、または文書をもつて相手方に対し、申立人の許に戻るよう説得したけれども、相手方は、将来の自信を失つたから離婚したい、ということで申立人の申出を拒んだ末、同年一一月一七日には最終的に離婚の話を取決めた上荷物を受取つて行きたい、という申入をするに至つた。

(4)  このような状態では離婚を決意するよりほかないと考えた申立人は、協議離婚に応じたのであるが、その際、事件本人の親権者と養育料について、相手方は子供は自分で働いて育てるから養育料を支払つてもらわなくともよい、というので止むなく事件本人を相手方に引渡したものである。

(5)  しかるところ、今回相手方から申立人に対し事件本人の養育料を支払つてくれという申立がなされたことは、申立人としては心外であり、もともと申立人の負担と責任において事件本人の監護養育にあたる意思であるし、しかも申立人の収入、家族構成、住宅事情からみて事件本人を申立人の親権に復させ、その下で監護養育するのが事件本人の利益に叶うのである。元来父母が離婚するさいの親権者の定めや、離婚後の親権者の変更の可否を決するに当つては、原則として未成年の子の監護教育費用を単独で負担する能力を有し、かつその意思を有する父母の一方当事者に親権を帰属せしめるべきである。

というにある。

第二昭和四八年(家)第一四〇号事件の申立の趣旨とその実情

申立人山崎洋子は「相手方は申立人に対し、事件本人の監護養育費として、毎月一〇、〇〇〇円づつ支払え」との審判を求め、その実情は

1  申立人と相手方との婚姻および事件本人の出生については、第1の(1)、(2)に同じ。

2  申立人と相手方とは昭和四七年一二月一三日協議離婚したのであるが、その際事件本人(長女静子)の親権者を母である申立人と定める協議が成立し、その旨の届出をした。そして、事件本人は申立人の許で監護養育され現在に至つている。

3  しかるに、事件本人の監護養育費の分担については双方の話合がつかないまま、申立人は産後間もなく、乳飲み子をかかえては勤めに出ることもできず実父の許で世話になつてきたが、近く勤めに出て事件本人を養育する考えであるけれども、会社に勤務し月収八万円の相手方にも事件本人を扶養する義務があるから、これが監護費用の分担として一ヶ月金一〇、〇〇〇円づつの支払を求める。

というにある。

第3調停の経緯

本件子の監護に関する処分申立事件および親権者変更申立事件は共に当庁の調停(昭和四八年(家イ)第一七六号事件および同第一七七号事件)に付された結果昭和四八年六月二二日第一回目の調停委員会が開かれたのであるが、いずれも不成立に終つたため、再び審判に移行したものである。

第4当裁判所の判断

1  先ず、親権者変更申立事件について、事件本人の親権者を相手方(母)から申立人(父)に変更しなければならない特段の事情があるかどうかを検討するに

(1)  本件記録添付の戸籍謄本によれば、申立人と相手方とは昭和四五年一〇月九日婚姻届出をし、昭和四七年五月二三日事件本人(長女静子)が出生したところ、同年一二月一三日申立人と相手方は協議離婚し、その際事件本人の親権者を相手方(母)と定めたことが明らかである。

(2)  千葉家庭裁判所調査官井口正隆、当庁調査官菅原富治各作成の調査報告書および別件子の監護に関する処分申立事件の当庁調査官菅原富治作成の調査報告書を総合すると、申立人は父新作(会社員五八歳)、母絹枝(五三歳)、弟定夫(三一歳)と共に父所有名義の木造トタン葺二階建住宅(階下は六畳一室に台所、二階は六畳、四畳半の二室)に居住し、父の○○運輸株式会社から受ける月収手取り九〇、〇〇〇円位、申立人の○○工業有限会社からの月収手取り六五、〇〇〇円位のほか弟定夫の申立人と同じ会社から受ける月収手取り六〇、〇〇〇円位で家族四人が生活し経済的には楽であり、妹扶美子と相手方親子が同居していた離婚前より家族数がすくなくなつているので、事件本人を引きとり養育する余裕は十分にあり、申立人が親権者となつたときは、母絹枝が事件本人の養育にあたる考えであること、一方相手方と事件本人とは、申立人と協議離婚後相手方の父二三(中学校用務員五一歳)、母育代(四六歳)、弟鉄雄(自動車修理業二四歳)、弟安明(会社員二二歳)、弟和夫(一七歳高校三年生)、妹昌子(一五歳高校一年生)と共に、父所有名義の木造トタン葺平家建住宅(八畳一室、六畳二室、四畳半二室、台所)に居住し、生活面は父の月収手取り一〇〇、〇〇〇万円位を主とし、弟二人も毎月二〇、〇〇〇円づつ家計に入れ、それほどぜいたくはできないまでも、相手方と事件本人が増えた位で生活に困るようなことはなく、事件本人の養育には主として相手方がこれに当り、母絹枝がこれを手伝つているが、事件本人が離乳食になじんで親の許から離れるようになれば相手方としては、弟鉄雄の経営する自動車修理工場の事務手伝をするのが事件本人の養育に適すると考え、家族とも相談した結果近いうちにその実現の運びとなつていることが認められ、家族関係、住居状況、経済力などの面からみた保護能力においては申立人、相手方ともに親権者として適切でないとは認められない。

(3)  しかしながら、本件においては、諸般の事情を考慮しても、事件本人の親権者を相手方(母)から申立人(父)に変更しなければならない特段の事情は認められず、かえつて、前記調査官菅原富治の調査報告書によれば、生後一年五ヶ月を過ぎた事件本人は、離乳食に移りつつあるとは言え、母乳のみで哺育した関係から長時間母の許を離れることを嫌い、これまで一年余に亘り相手方家に同居し一応安定した生活を維持していることが認められるから、今にわかに親の都合のみによつてこの安定した生活の場を変えることは幼児に与える心理的不安が大きく、ひいては健全な精神的発達を阻害する要因ともなりかねないばかりでなく、温い母性愛こそが幼児期の人格形成にとつて、かけがえのない貴重なものであることを合せ考えれば、事件本人は相手方(母)の許で監護養育を続けるのが相当である。

申立人は、離婚にさいしての親権者の定め、およびその後の親権者の変更については、子の監護費用を単独で負担する能力をもち、かつその意思を有する父母の一方当事者を親権者とすべきである旨主張するが、主として経済的負担能力のみを重視するこの考え方には賛成できない。

よつて、申立人の本件申立を却下することとし、主文のとおり審判する。

2  次に子の監護に関する処分申立事件について審究する。

(1)  およそ父母は、未成年の子について、自己と同じ程度の生活を営むに足る扶養をする義務を負うものであることは、親子という身分関係の特質上当然であつて、このことは、ひとり父母の婚姻継続中のみならず、父母が離婚した結果、その一方が親権者と定められ、これと子が生活を共にし、他の一方の親が親権を有しないこととなり、子との生活を共同にしないこととなつても、この理を異にするものではない。

したがつて相手方は、申立人との協議離婚に伴う協議により、事件本人の親権者でなくなり、事件本人が申立人に引き取られるようになつた後においても、なお依然として事件本人に関し右にいう生活保持義務を本質とする扶養義務を負うものであることは明らかである。

当庁調査官菅原富治の調査報告書によると、相手方は、申立人は相手方との離婚にあたり自分で働いて事件本人を育てる、と言つておりながら、今更養育料の請求は心外である、と述べているが、申立人が述べるとおり、養育料については、協議がまとまらないままに離婚したというのが真相であると思われるし、かりに相手方の述べるとおりであるとしても、さきに説明した理により事件本人が相手方の生活程度を下廻る生活を営んでいるかぎり、これを自己と同程度の生活を保持するための扶養義務を免れうるものではなく、そのための申立人の請求を拒むことは許されず、申立人とともに事件本人の監護教育の費用分担の責を免れえない。

しかして右費用負担の割合は、事件本人に対する扶養の必要度、申立人および相手方の資力、その他一切の事情を考慮して決定さるべきである。

(2)  そこで、事件本人の監護養育費の額およびそのうち相手方が負担すべき金額について検討する。

(イ) 事件本人の一ヶ月分の生計費を生活保護法に基づく生活扶助基準額によつて算出すれば、

三級地たる秋田市における一歳~二歳女の月額 四、九〇〇円

これに「まあまあの生活をしていて標準生活ができる階層」の生計費の倍率 三・七を乗じ

4,900円×3.7 = 14,430円

となる。

(ロ) 相手方の収入については、当庁調査官菅原富治の調査報告書および別件親権者変更申立書の記載により、相手方が○○工業有限会社に勤務して得る一ヶ月分の手取り額は六五、〇〇〇円を下らないことが認められる。

(ハ) 申立人は、相手方との離婚以来、事件本人を伴い両親と同居し、その生計は、実父の出捐に依存していることは、さきに親権者変更申立事件で認定したとおりである。

当庁調査官菅原富治の調査報告書によれば、申立人は、目下のところ無収入であるが、近々中に同居の実弟鉄雄の経営する自動車修理業を手伝つて収入の途を講ずることとなつていることが認められる。

したがつて、いま直ちに右手伝によつて得られる収入を確定することはできないが、少くともパートタイム労働賃金程度の額は得られるものと推認できる。

そこで下記昭和四七年度産業別女子(二六歳)労働者のパートタイム労働賃金を参考にすれば、申立人は近々中に月当り二〇、〇〇〇円を下らない収入を得られるものと推計できないことではない。

1時間当り1 日の労働 月平均稼働

162円×6(時間)×21(日) = 20,412円

(ニ) 前記(イ)の事件本人の生活費を(ロ)相手方の収入と(ハ)申立人の前記推計収入とで按分すれば

14,430円×(65,000/(65,000+20,000)) = 11,034円 となる。

以上の如く、事件本人の最低生活費は月額金一四、四三〇円で、そのうち事件本人の監護養育費として相手方の負担すべき分は(未だ現実化していない申立人の収入を推計してのことではあるが)金一一、〇三四円であるが、相手方にはこれを下廻る本件申立の月額金一〇、〇〇〇円を支出する能力は十分にあるものと認められる。次に事件本人の監護養育費支払の始期は、昭和四八年二月五日本件申立をしたこと記録上明らかであるから、昭和四八年二月からとし、最終期は、高校進学率が高まつている実情に鑑み、事件本人が高等学校卒業予定時の昭和六六年三月までを以つて相当と認める。そして、毎月末日その月分を支払うこととし、昭和四八年九月分までの分は既に支払期日が到来しているのであるから直ちに支払うべきものである。

なお、将来事情が変更した場合には、当事者双方共その変更に応じて審判を求めることができることは勿論である。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 飯沢源助)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例